久々大将に会いに来ました!
ボクが30代前半に勤めていた工務店。
その時に出逢った大工の大将っ!
大将の影響は、大きすぎる!
ボクの大工時代は、昔ながらの家づくりだった。
そして大将こそ、ボクが監督になってからの
もう1人の親方なのだ。
木を選ぶ時はいつも厳しく
倉庫に立ち並ぶ木を選びに行っては、
中々納得しなかった。
印象深いのは、古民家の改修工事で
離れの横に基礎を作り、その建物を移動する。
お寺の新築など、どれもこれも大将の仕事は圧巻
だらけで勉強になりましたね。
ただ、今っぽいというか、プレカットとプラスターボードばかりの家は。。。
プラモデルだと言い切り納得出来ない仕事は、
請けてくれなかった。
お陰で当時の工務店の社長と大将の仲が悪く
現場監督としてのボクはいつも板挟み。
面倒くさいな、大将は!
思うコトもしばしば。。。
とは、いえ監督時代のボクは。。。
今思うと、かなり変わった工務店だった。
会社が足助町や稲武町に山を持っていて、
その山の木を自分で伐採し製材屋に運び、
又倉庫に運ふ。丸太の積み込みもこれ一苦労だけど
兎に角、斜面での作業は危険だし平地の5倍は疲れる。
今考えると嘘みたいだけど、
本当に環境は豪華?いや豪快だった。
自社の倉庫には、材木が豊富にあり、
ユニックで大将のこの作業場迄運んだ。
まっ、材木屋だよ。
当時は、本当に面倒で辛く、厄介な会社に
就職したな。。。と安月給で休みも殆ど無く。
いつも大将のこの作業場で愚痴ってた。
でも大工時代と並ぶ、貴重な経験
だったと心から思う。
ボクは、木こりさんと材木屋さんと監督と
3つの役目をこなしていた。
そして役目の4つ目はと言うと。。。
大将の墨付けの相方は、ボクだったしな。。。
と、つい2年、3年前かの様に鮮明に覚えてるけど
もう20年位前の話し。
当時は、新聞配達のバイトもずっと続けていたし
今のウチの経理の梅ちゃんも当時、この会社の
事務員さんでした。
この頃の出逢いといた環境は大きい!
今朝は1番で岡崎市で打ち合せがあり、
久々に豊田市の外れの大将の作業場に寄れた!
何があっても諦めない!
強固な気持ちは
この時の一風変わった環境や大将の
存在が大きいんだと思う。
仕事をこだわるのは、楽しむ理由から始まると
又今日思った!
今日もいいコトあるぞ〜
♪タラッタッタッター♫
大工や現場監督の経験を生かし、建設業界でお客様と職人の橋渡しを行うとともに、現場での作業の効率化やお客様の要望に対応することを重要視している。現在は名古屋・東京などを拠点に、「店舗・オフィス・施設」、「住まい」、「ライフスタイル」に関する提案を行い、常に新しい挑戦を続けている。