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2016.06.14
無垢の家が好きな人へ
無垢の家に住みたい!木の家に住みたい!無垢の家に興味のある方なら
そう思う筈。でも、しっかりと見てみないとその板は本物か偽物か?分かりませんよ!では、一体どういったのが本物で偽物なのか。
僕の見てきた経験からとまた特徴についてお話しましょう。山から連想しますよ
愛知県名古屋市で地元地域密着とお客様とオンリーワンの
自然素材の家づくりを目指す、サイトウホーム代表の斎藤浩司です。僕が大工の見習い時代は周りにあるもの全てが無垢材でした。
そう!全てがみなさんの思う「木」と一緒だったのです。僕は、全く畑違いの中古車センターの営業マンから、
丸太をこしらえ、ノミやトンカチを叩き刻みが得意な
田舎大工の見習いへと転職した訳です。無垢とか木とかについて全くの先入観もなく全くのど素人
子供の頃、家の裏山に遊びに出かけカブトムシや琵琶などを取りに
遊びに行ったあの山にあった木なんだ。と思う位。「へ~あの木がこんなに四角い柱になるんだ」
「大将!これだけの柱って、山にある木なら
どれくらいの太さになるんすか?」という僕の問いに大将も始めの頃は苦笑いしていました。
今の僕は、休日に会社の倉庫に娘と行くと同じような質問をされたこともあり当時を思い出すと、24歳にもなった男が小学生の娘と似たような
質問をしていたんだと少し恥ずかしくもなりますが。「いやいや、これ当然の疑問ですよ」
あの四角い柱を見れば誰だって
「山から連想しますよ」
無垢の証拠
では、ここで「無垢の証拠」をお話ししましょう!
その前に僕が大工の修業時代、無垢しか知らなかった。というのを大前提にお伝えしますね。まあ、最初から和室なんて、触らせてもらえないしノミやカンナを研いでばかり。
また、研ぐのも下手クソだから指先の指紋は、すり減りなくて血がにじみでる感覚って何と言えば良いんだろう?まっ、とにかく刃が大切な訳ですよ。
そして、刻みでその刃が上手に研げれたか自己分析して少しづつ上手くなる。「木はね、彫ってもどこまでいっても木なんですよ」
「木はね、削ってもどこまでいっても木なんですよ」これぞ、無垢!無垢の証拠なのです。
これ無垢じゃない
皆さんが無垢と思っているのも実は「無垢じゃない」かもしれません。
な~んて、脅しでも何でもないですからただ、「本物を知る」コトは大事だと思うのです。
恥ずかしながら僕が「これ無垢じゃない」と知ったのは、田舎大工から現場監督へと転職してからなのです。
無垢という言葉は日常にも使いますよね。ある意味、僕も無垢な人かも(笑)とにかく、大工時代は無垢という
木の香りに囲まれていました。現場監督となりそこの家づくりで目にしたのは、たんぱん貼りの柱や突き板貼りの
板ばかりでした。要は生ハムのような感じで木をスライスしたものが上手に貼ってある。表面上は分からないですね。繋いである小口か、切断した断面を見ない限り
分かりづらいと思います。「本物の木ならばどこまでいっても木です」
こういったシート貼りは削るコトが出来ない
本物の木(柱)をカンナで綺麗に仕上げると表面に顔が映るんですよ。「まるで、鏡のように」
シート貼りではこういった作業ができない。
言わば、こういった材料ばかりの家づくりでは、「もうひと加えの手間が掛けれない。」
余談ですが、カンナを面取り(角を取る)でしか使えない大工さんも多いのでは。
無垢とは
無垢とは、建築用語では木、本物の木のコトを言います。
日常で一般的には、「けがれが無いこと」を指したりしますよね。
建築用語の無垢と同じ意味と僕は思うのです。「余分なモノのが混ざっていない。」
一歩外に出るとある時は、お父さんやお母さんは社会で矛盾に挟まれながらも
仕事をしたり大人としての対応をする場面も多いと思う。子供たちだって一歩出れば幼稚園から学校で色んな我慢も経験していくのだと
思う。皆が皆、篭の中の鳥じゃないから、傷つくことだってある。「勿論楽しいコトだって沢山ある」
沢山頑張って楽しんだご褒美にお家に帰ると無垢に包まれた
暮らしも良いんじゃないって思うんです。「無垢の家が好きな人へ」
そうじゃない人も
「無垢との出逢いをお勧めします」